お一人の神様と一つの世界宗教

講演

神様が存在しているのに、存在する神様を「死んだ」と言うのは、これ以上の罪はないと思うのです。神様が存在しないのに「神様は存在する」と言うほうが、それよりまだ良いと見ることができます。

平和経 p.355

未だに八百万の神々を祭る日本ではお一人の神様の存在を認めがたいでしょうが、存在しないとしても、存在するというほうが、存在するのに死んだなどというより、ずっといいです。

作用をするためには、そこには必ず先行条件として、主体と対象が絶対必要だということを否定できません。この主体と対象が授受するところから作用が始まり、作用が始まることによって力が存続するのです。言い換えれば、力が存在する前になければならないものとは何かというと、主体と対象だというのです。

お一人の神様と一つの世界宗教

主体と対象があってこそ力が作用するようになっています。それは私という1人の存在でも、私の中の主体と対象が授受することで私が存在するための力が発生し、作用するようになっています。その力は私を存在させるという一つの目的に向かって作用します。

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